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「救出死」で英雄視とバッシング [思うこと]

少し前に、横浜市内でおきた踏切での痛ましい事故。
倒れていた男性を助けようと、遮断機をくぐり、
男性は助けたものの、自らは電車にはねられ命を落としてしまった、
なんともやりきれないあの事故のこと。
自らの危険を顧みず、勇気ある行動と、マスコミを通じ、
多くの称賛の声が寄せられていました。

その報道を見聞きするたびに、
なんともいえない違和感のようなものを覚えていました。
それでも、それを外に向かって示すことは躊躇われるような、
なにかをまた、同時に感じながら・・

そんななにやらもやもやっとした感情を、
心の奥に持ったまま、この数日が過ぎたのですが、
今日、この記事を目にして、
「ああ、やはり。」
報道をみて、私が感じていた違和感は、これだったのだなと。

救出した女性が、人としておもいやりのある素晴らしい人であることには、
もちろん違いないのですが、
結果として助けた女性が犠牲になってしまったという事実があるのに、
加熱しすぎともいえるほどの美談としての報道、総理大臣からの感謝状、
それらは、ほんとうに必要なことなのだろうか。

http://www.excite.co.jp/News/society_g/20131017/asahi_20131017_0001.html


人の命を助けることはすばらしいことだけれど、
自分自身の命を落としてしまうことで、また新たな悲しみが生まれてしまうのです。
助けた人の家族、親しい人たち。
そして、助けられた人も、精神的な重荷を負ってしまうことがあるのかもしれません。

今回のように不幸にして、助けた人が亡くなってしまっているのなら、
関根さんのお姉さんがおっしゃるように、そっとしておくべきことで、
過度に称賛すべきことではないとおもうのです。
ましてや、助けられた人へバッシングしたり、助けた人の家族が悲しむことが
できないような雰囲気を作り出してしまうことなど、あってはならないともおもうのです。


こんな私の考えにまた、違和感をいだかれる方もいらっしゃるのかもしれません。
人それぞれの感じ方があるのですから、それは仕方ありませんね。
逆にまた、私のおもいに、共感してくださる方も、きっといらっしゃるのでしょうね。


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父母のこと 晴香のこと ブログのこと [思うこと]

今年の夏は大変な酷暑になりましたが、みなさんいかがお過ごしですか。
私が暮らしている岐阜市から、ちょっと離れたところには、
少し前まで熊谷市とならんで全国一暑い街と言われていた、多治見市があります。

多治見市ほどではないにしても、岐阜市も内陸部のためか、かなりの暑さになります。
この夏はたしか16日間連続の猛暑日を記録し、過去最高だったとか。
暑さの中、この夏はいろいろなことがありました。

7月の終わりには、父の納骨と一周忌の法要が2週続けてありました。
お盆には山岡へお墓参りに、
帰ってからは、少し遅ればせながらも実家へ出かけ、お盆と父の命日のお参りをしてきました。

大変に暑い暑い中での法要やお墓参り、
お盆と命日が過ぎ、母はかなり疲れてしまった様子でした。
1年が過ぎ、きっといろいろな思いも巡っていることでしょう。
私自身のことを思い返しても、1年目というのは、ほんとうに複雑なおもいでいっぱいでした。

普段は忙しさの中で気が紛れていても、
じっと父のことを思い返してみれば、優しい父がいなくなってしまったこと
もう父にはこちらでは逢うことができないことが淋しくてたまらなくなってきます。
ずっといっしょにいた母は、きっともっともっとつらく淋しく、悲しくて仕方がないことでしょう。
おそらく今は、心身ともに疲れてしまっていることだろうけれど、
それでも、母にはこれから、つらい悲しいばかりではなく、
楽しいこともいっぱい経験していってほしい。
そのために膝の手術も受けてがんばったのだから。きっと大丈夫だろう、そう信じよう。。
父も、母が膝を治して、元気に過ごしていくことを、きっと願っていることだろう。


父のことをおもうとき、どうしても晴香のことをおもわないではいられません。
もうすぐまた晴香の命日がやってきます。
今年で10年。
逢えなくなってもう10年が経とうとしています。
10年を節目に・・と考えることもあるのですが、
実際にどうしようかとか、具体的にはなっていません。

このブログも、あまり書かなくなってきたし、
10年を境に、もうやめようかなとも考えたりしましたが。
なかなかすっぱりとやめてしまう決断もできずにいます。
それなりに読んだ本のことや、思うことなど、
書いておきたいなとおもうことはあるのですが・・
以前のように、とにかく書かずにいられないというようなことがなくなり、
忙しさの中で、つい書きそびれて終わってしまうことが多くなっています。

ひとりになり時間があると、悲しみにどこまでも沈み込み
苦しくて仕方がなかったころ、
つらさから逃れるために、用事をつくったりわざと忙しくしていたようにおもいます。
今では、無理にではなく、日常のことで自然に忙しい毎日を送っています。

書かずにいられなかったころ、
書くことで癒されていたころ、
あの頃からは、気持ちは変わっていっているようです。
自分にとってのこのブログの役割も、変わってきたのかもしれません。
もうこういう場がなくてもいいのかな。
いや、まだ書かなければいけないこともあるような気がする。

どうしたものか。
今も迷い中だけど。。
やめるべきか、このまま細々ながらも続けていくか、
あるいは、別のところで形を変えて続けていくか・・
結局なにも変わらないかもしれないけれど、もう少し悩んでみることにします。



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いのちはだれのもの~青草民人さんのコラム [思うこと]

美濃と飛騨を結ぶ、せせらぎ街道、
緑が美しくなってきました。
4月以降、もう何度も往復しました。

このせせらぎ街道、秋の紅葉もいいですが、
緑溢れるこの時期もまたいいものです。

冬の間一面雪に覆われ、すっかり葉をおとしてしまった木々は、
もう二度と葉をつけないのではないかとおもえてくるほどです。
しかし、春になり雪が溶け、枯れ木のようだった木々にも新芽が芽吹き、
黄緑色の若葉が少しずつ顔をだすと、そのあとはぐんぐんと葉を広げ、あっという間に一面緑に。
力強い生命力に驚かされます。

green4.jpg

紅葉から落葉へ、そして再び若葉がでてきて、しだいに深緑へと移り変わる、
このようすを、通るたび目にしてくると、
なんだか葉っぱ一枚一枚に、というよりはむしろ、
山全体、街道にある木々すべてが、ひとつの大きないのち、そのもののように感じられてきます。
すべてをまるっと包む大きないのち、そんな風に言ったらいいのでしょうか。。
大自然の中に身を置くからこそ感じられることなのでしょう。


そんなことをおもう今日この頃なのですが、
先日、ふらふらっとネットを徘徊中、
青草民人さんの
「いのちはだれのもの?」
とのタイトルで書かれた素敵なコラムに出会いました。

http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/b755d08e9d65eb8c36acc2177458d733
ブログタイトル「三日坊主日記」より

「いのちは授かるものではなく、預かりもの、
いつかは返すもの」
とおっしゃる青草民人さん、
私の中にも、すっと入ってくる言葉でした。
コラムの中から一部、こちらにも紹介させていただきます。


『あらゆる縁の中で自分という器に届けられた「いのち」は、生まれてから死ぬまで、個人という器の中で、その個人を成長させ、人生という歴史を刻み、そして、「いのち」を次の世代に受け継いでいった。その役目を果たした器である個人は、預かった「いのち」をお返しした安堵の笑みをたたえて、安らかにまた器にもどる。』


いのちは父母、さらにはそのまた父母・・と、連綿と続いてきたいのちの連鎖によるものであり、
自分自身に届けられたいのちは、多くの困難や偶然性を乗り越えて伝えられてきたものでもあるのだとも。

私たちが今こうして生きているのは、数え切れないほど多くいのちを繋ぎ、いのちを伝えてきた、
まことに不思議な大いなるいのちの営みの結果であるのですね。
しかもそれは、個人に授かったものでなく、預かったものであって、いつかは返さなくてはならないものとも。

授かったというより、預かったと考える、至極しっくりいくような気がします。
預かったのだからいつかは返す。
人が最期のときを迎えても、それですべてがなくなったわけではなく、
あくまで預かったいのちを返したということ。
ひとりひとりのいのちはひとつひとつ勝手に始まって勝手に終わるのではないのですね。
大きな全体のいのちが、個に宿り、そしてまた返っていく、、

人も大自然も、みなこの大きないのちの営みの中にあるように感じられてきます。
深緑の中を走り抜けながら、ますますそんなおもいを強くしています。

25歳の誕生日 [思うこと]

前回から2ヶ月も過ぎてしまいました。
その間、新しい年が明け、母の2回の手術も終わりすでに退院、
先月の13日は、沙織の成人式、
そして同じく27日は、晴香の25歳の誕生日でした。

いろいろなことがあって、ありすぎて、
無理をしすぎたせいか、体調も少しおもわしくなかったこの2ヶ月でした。
夜になると疲れてしまい、パソコンを開いてみるものの
なかなか記事を書いたり、コメントをしたりなどする気になれませんでした。
ここ数日、少しずつ体調が戻ってきたようで、久しぶりにこうやって呟いている次第。

ブログ書こうとおもいつつ書けないでいたのですが・・
先月の27日、晴香の25歳の誕生日は、
発病して初めて中学校を休んだときから、ちょうど10年目、
小さい頃病気がちで弱かった晴香でしたが、
中学に入ってからはあまり病気をしなくなり、その日まで一日も休むことなく学校に通っていたのでした。
それだけに、初めて休んでしまったその日、とても残念がっていたことを今でもよく覚えています。

病院に入院し、手術したのは、その少しあと、
2月に入ってからでした。
そのころに病院で撮った写真は、今でも御仏壇の前に置いてあります。
普段毎日じっくりと見るわけではないけれど、ちょうど10年になる今年の誕生日には、
手にとって、暫くの間見入ってしまいました。

byouinnite.jpg

東京や大阪からわざわざお見舞いに来てくれた親戚のみなさんが、
ポラロイドカメラで撮ってくれた写真。
家族4人の写真、従姉妹たちといっしょの写真など、
写真を見ていると、当時のことがまざまざと甦ってくるものですね。

沙織もまだ当時10歳、従姉妹のみんなもまだ小中学生くらい。
小さかったけれど、今ではみんな大きくなって、
10年と言う時間の流れを感じさせられます。
大人の私たちも、年を取ったものだとしみじみ。

あのときいた晴香が今はいない、という淋しさももちろん感じさせられるのだけど、
それだけでなく、10年という時間が、
確実に何かを変えていっているのだなあということ、
それは私たちも含む生きているものの形であったり、
またひとりひとりの環境や生き方でもあったり、
そして、人の心のうちでもあったり・・・
うまくいえないけれど、たしかに10年の歳月はいろいろなものを変えていく
大きな力をもっているものなのだなあということ、
写真を見ながら、なんとなくそんなことも感じさせられてくるのでした。

006.JPG

25歳の晴香、
どんな女性になっていたのかな。
相変わらず思い浮かべることは難しいけれど・・
記憶の中の幼い晴香、15歳の晴香、
ときどき夢にでてくる晴香・・
現実世界では出逢うことはできないけれど、
心の中や夢の中の晴香は、明るく笑っていてくれる。
そんな晴香には、明るいメロディーと、
ギターとチェレスタのやさしい音色がとっても素敵な、『夢路より』が似合うかな。

『夢路より』 フォスター作曲


前回と同じくぴあんの部屋さんからお借りしました。ありがとうございます^^


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9回目の命日 [思うこと]

きのう10月2日は、晴香の9回目の命日でした。
台風の余波なのか、やや雲が多く、時折強めの風が吹くこともありましたが、
雨の心配もなく、青空が覗く爽やかな一日になりました。

毎年この日は特別な日、であるには違いないのですが・・
昨日は、特別ではあるけれど何か特別なことをするわけでもなく
実に静かに過ぎた一日でした。
誰かがお参りにいらっしゃるということもなく、
家族も別々、なので一人晴香のことを想い、花とお菓子を供え、
お線香をあげ、静かに手を合わせ・・・
そんな自分自身も、命日だからと一日家にいることもなく、
普段通りに用事や仕事に出かけたり。
こんな風に普段通りに過ごした命日は、きのうが初めて。
以前には考えられなかったこと、
9年という歳月が、人の心の内を変えていくものなのだなあと、
改めて思えてきます。

きのうが晴香の命日だったということ、
実は私の実家の誰もが忘れてしまっていたのです。
ちょっと淋しいような気もするのですが・・
先週末父の四十九日だったということもあり、
母も兄も姪も、みんなおそらくそのことでそれどころじゃなかったのかもしれません。
あるいは、人は何か大きな悲しみに襲われると、それまでの悲しみを忘れてしまうというか、
気にならなくなるということもあるのかもしれません。
母の場合、やはり長年連れ添い常に傍にいた父がいなくなるということは、
何にもまして、大きな悲しみであり心の痛手であることに違いないのでしょう。
それと、9年という歳月が、少しずつ少しずつ悲しみを和らげる力を与えてくれたのかもしれません。
みなが晴香のことを忘れてしまったわけではないのでしょうから、
命日のことを忘れていても、咎めようとはおもいませんし、薄情だともおもいません。
母親である私自身でさえ、9年前とは明らかに変わってきているのですから。

変わってきているのは、命日に対することばかりでなく、
そのほかのさまざまなことについても言えるとおもうのですが・・
最初の1年目、2年目に感じていた、晴香とどんどん遠ざかって行くような気がして
淋しいという感情。
それはこのごろでは、遠ざかって行くというよりは、むしろ近づいていくという感覚に
変わってきているようです。
自分自身もどんどんと年をとっていき(平均寿命からいえばまだまだ若い方なのでしょうが・・)
気持ち的には、晴香のいるほうにむしろ近づいてきているような、
もういつでもそちらに行ってもいいような、そんな想いになってきているということ。
父も四十九日を終え、晴香と同じところに還っていったんだなぁなどと想像していると、
なんだかあちらが賑わしくなってきて羨ましくなってくるような。。

そうはいっても、こちらにいればいたで、あれやこれやといろいろなことに
忙しく過ごしていくのでしょう。
せっかくこちらにいるのですから、それなりに楽しんで。
9年前には想像もできなかったけれど、こんな風に自然体でいられるようになったことは
きっといいことなのでしょうね。

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震災1年に思うこと [思うこと]

震災からきのうで1年。
被災地はもちろんのこと、国内外のあちこちでも追悼行事やコンサートなどが行われたようです。
テレビや新聞などのメディアでもさかんに取り上げられていました。

1年が過ぎておもうことは、民間レベルでのみなさんの取り組み方はほんとうにすごいということ。
被災された方々にも、その人たちの力になろうとボランティア活動などされている方々にも、
いずれの側にもいえることだけど・・・

何百キロも離れた岐阜の地にいると、
何事もなく世界が動いているようにおもわれ、あの大変な震災でさえも、
なにか現実味が感じられなくなってしまうようでもあるのです。。
そんなぬくぬくとした生活に浸っている自分が、どこか後ろめたくも感じられ、
なにかしなくていいのか・・・という思いがずっとどこかにあったような気がします。
とはいえ、実際に東北に駆けつけボランティア活動をする時間や行動力も持ち合わせず、
できることといえば、少しばかりの募金をし、そして祈ることくらい。
ただ、こんな風に感じているのは、おそらく私だけじゃなくて、
多くの人が同じようなおもいを抱いているのかもしれません。

民間レベルでの多くの人たちの行動力や想い、
それに比べて、官レベルでの不甲斐なさが際立った1年でもあったようにも感じられてしまいます。
東電トップ、保安院、政府や官僚・・
上にたつ立場にある人たちは、どうしてあのようになってしまうのか。
今回の震災はたしかに歴史的に見ても大規模なものであったし、
地震や津波の被害も、相当なものであったのですが、
どうしても考えてしまうことは、原発の問題がなかったならば・・・ということ。
事故前、事故直後の対応ももちろん問題だけど、
信じられないことに、あれほどの事態を引き起こしながら、
今また、安全が確実に確立されていないにもかかわらず原発を再稼働させようとか、原発を輸出するとか、さらに腰を抜かしそうになったことには、あの「もんじゅ」を実験的に再稼働させようという動きもあるのだとかいう。
もうこれは、どう考えてもわからない。原発にかかわる方々(もちろん現場で働く人たちのことではなく、電力トップや官僚、政治家など・・?!)の頭の中がどうなってるのか、想像するのも難しい。。。

これは、なにを大切にしていくのかという違いからくることなのだろうか。
原発がいかに負の遺産を後世に残していくのか、今回のことで思い知らされたはずなのに
(このことは本当は事故がおきる前からわかっていたことなのだが・・)


最後に、少し前に読んだ池田さんの『考える日々Ⅲ』の中に、
今回の震災、原発問題にかかわって、自分のなかでどうしても結びついてしまう一節があったので、
こちらに抜粋しておきます。


私の値段はおそらく〇円 p174~ L8~
『・・・・値段、すなわちこの世の価値とは損得だが、形而上の価値は善悪だからである。多くの人は、損得と善悪を間違えている。損なことが悪いことで、得なことが善いことなのだと思っている。しかし、これは、間違いである。
 得をするために人間が悪くなることが、どうして善いことなのだろうか。損をしても自分が善くなるのなら、どうしてそれが悪いことなのだろうか。
 内面の価値、すなわち魂の値段は、おそらく市場の価値とは反比例する。ごく稀に比例する場合もあるに違いないが、それはその人が、反比例の法則を自覚して、自覚的に生きているからである。ほとんどの場合、市場の価値が自分の価値だと思うことによって、その人の魂の値段は安い。』


若い頃は、ボランティア活動をされている人たちのことは、どうして見返りを求めることなく働くことに自ら進んで行こうとされるのか、理解ができなかったものでした。
私たちがまだ学生の頃は、ボランティアという言葉さえ今ほどには聞かれなかったくらいですから。
だけど、この頃では、このような無償の活動をなぜ進んでするのか、少しはわかるようになってきました。
少なくとも、彼らは損得からでなく、市場の価値からでなく、池田さんのいわれる形而上の価値というものを、本能的に理解しているからなのでしょう。おそらくそんな理屈など考えてから行動しているわけではないのでしょうけれど。
一方で、自分自身の価値を市場の価値から判断されがちな社会的成功者の場合は、どうしても損得から物事を考えてしまいがちなのかもしれません。
自分の市場価値があがればあがるほど、ますますそれが自分の価値だとおもえてくる。
上に立つものが、民のことよりもまずは自身や所属団体の損得や保身を考えてしまうというのも、なるほどという感じです。
今回の、原発事故に関わったトップの方々の言動をみても同じく。


”内面の価値、すなわち魂の値段は、おそらく市場の価値とは反比例する。ごく稀に比例する場合もあるに違いないが、それはその人が、反比例の法則を自覚して、自覚的に生きているからである。”

その人の社会的価値が高くなればなるほど、このような反比例の法則を自覚することは、難しくなるのかもしれない。社会的成功者でかつ謙虚で世のために貢献していらっしゃる方々は、おそらくこの法則をよく理解されていらっしゃるのでしょう。
できることなら、政治家や官僚、東電のトップに立つ方々にも厳しい自覚をもって、国民のために行動していただきたいものです。

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父のこと [思うこと]

ことしは9月や10月になっても暑い日が多く、
夏が長く秋が短かったような・・・
紅葉も遅れているし、まだまだ秋かな、とおもっていたら、
11月も半ばころになって、一気に寒くなってきました。
秋はちょっとで、いきなり冬がやってきたみたい。
長い夏のせいで、季節や時間の感覚がおかしくなってしまったのかも。
でも、もういつの間にか12月なのですね。

このところ、しきりに届くのが、友人からの喪中年賀欠礼状。
数年前から、目立つようになってきました。
私たちの親世代は、大半が70代から80代前半くらい。
友人や同世代の知り合いからも、父が具合が悪くて・・とか、母が入院して・・
などという話をよく耳にするようになりました。

私の父も今年82歳、母は76歳になります。
ここ数年、随分と弱ってきてしまったなあと感じています。
父は、20年近くも前に脳卒中で倒れ、以来、右半身が不自由です。
最初は歩くこともできなかったけれど、懸命なリハビリのおかげで歩けるようになり、
その後、左手だけで操作ができる改造車を運転したり、畑で野菜を育てたり、
障害者のグランドゴルフ大会で優勝したりと、不自由ながらもできることにどんどんと挑戦し、元気を取り戻していました。
それでも、80歳に近づいたころから、体力の衰えを感じ始めたようで、今では歩くのも一苦労な様子。
そんな状態でも野菜作りは続けている、これはほんとうにもう、気力というか精神力と言うか、それだけで頑張れているのだろう、我が父ながらほんとにすごいと思う。
そして、自らも膝関節の痛みと闘いながらも、父を支えてきた母にはご苦労様と言いたいのです。

そんな父が、数週間前に、帯状疱疹を患いました。
思うようにならない体で、同じことをするのにもずいぶんと時間がかかってしまう中で、
畑仕事を長時間頑張りすぎ体力がおちていたのかもしれません。
湿疹が消えてからも、痛みがあるとのこと、
麻酔科のある総合病院を受診するようにと、今は勧めているところです。
親というのは、いつも子どもの心配をしてくれるものだったのですが、
いつのまにか、子どもの方が親の方を心配する年になってしまったようです。
なにもできなくても、顔をみせに行くだけでもいいから、今までよりももっと
ちょくちょく親の元に出かけていかなくてはいけないなあとつくづく思うこのごろ。

それにしても、父の姿から、改めて感じるのは、
人が一生を生きるのは、なんと大変で苦しいことが多いのかいうこと。
もちろん、うれしいことも楽しいことも感動することもたくさんあって、
苦しいことばかりではないのだろうけど。
だけど、死にたくなるような苦しいこともおきる、それも1つや2つでなく。
こんな大変なことがあったから、もうこれからは・・・と思っていると、
次にまたもっと大変なことがおきたりする。
なんで自分ばっかり、なんで我が家ばっかりに・・とそんな時にはおもってしまうのです。
私も、晴香が病気になったとき、どれほどにかそう思って神さま仏さまをうらんだことか。
でも、今おもうに、人には形は違えども、みなそれぞれに苦しみには、
一生の間には必ず出会うようになっているのに違いないのでは・・ということ。
どの苦しみが一番苦しいとか、あれのほうがましだとか、こっちの方が大変だとか、
そんな苦しみ比べや、不幸比べなんかしたって仕方ないことだけど。。
そして、自分が遭遇した苦しみを、どれくらい苦しいと感じるかは、人によっては違いがあるのかもしれないけれど。。

苦しみが避けられないものであるならば、「苦しみがあってあたりまえなのだ、生きているのだから・・」と受け入れてしまった方が、気持ち的には楽に生きられるのかもしれない。

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8回目の命日 [思うこと]

10月2日、晴香の命日は晴れることが多いのですが、
今回は、晴天とまではいかないけれど、ときどきお日様が顔を出す爽やかな日になりました。
ちょっと風が冷たくて、10月上旬にしては肌寒くはありますが・・

昨日は、私の両親と姪がおまいりに来てくれました。
姪は、現在大学4年生、来春からは社会人に。
そして妹の沙織は大学1年生、もうすぐ19歳になります。
2人とも晴香より年下だったのだけど、いつの間にかなくなった時の年(15歳)を越してしまいました。
晴香はお姉ちゃんであり年上であるけれど、2人の感覚としては年下のような妹のような
不思議な感じがするのでしょうね。

cosmos.jpg
写真はお供えの花、コスモスにすすき、秋のイメージです。
母は、「コスモスをみると、涙がでてしまう。晴ちゃんが亡くなった頃も、ちょうどコスモスがあちこちに咲いていたから・・・」と。
そう、8年前の今頃、山岡のお庭にもコスモスが綺麗に咲いていたのでした。
悲しいこともいっしょに思い出してしまうけど、それでもあえてコスモスの花を飾りました。
晴香は、どちらかというと、あたたかでほのぼのとしたたんぽぽや、
青空に向かって真っすぐに咲いているひまわりのような明るいイメージで、
ちょっと儚げで淋しげな感じのコスモスやすすきは、むしろ私たちの心情に合っているのかも。


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上の写真は、晴香が小学1年に転校した時、クラスメートからいただいたお手紙や折り紙など。
ずっと仕舞い込んであったのだけど、春に大掃除をしたときでてきたもの。
習いたてのたどたどしい字で書かれた手紙やメッセージ、男のこが折ったと思われる折り紙などなど。。
ずいぶんまえのことで忘れてしまっている名前も多くあったけれど、
顔も浮かんでくるくらいはっきりと思いだせる子の名前もあり、
懐かしくて、最初に見つけたときには、しばし食い入るように見入ってしまいました。
中に、とても印象に残る言葉が書かれたメッセージカードがありました。

014.JPG

「ほんよみカードあったかいね」
他人が聞いたら何気ない言葉なのかもしれないけど、
母親である私には、いかにも晴香のいいそうな言葉だなあと、そしてそれを言った時に見せたであろう表情ーそれは屈託のない笑顔ーが浮かんでくるようで、とても印象的な言葉。
メッセージカードの中の言葉が、そのまま晴香自身のイメージに重なり、どっと私の中に流れ込んでくるような感じ。

以前、晴香の誕生日に、いろいろな場面の記憶がしだいに遠ざかり薄れていくようで淋しい・・
と書いていたように、細かな記憶自体は、だんだんと曖昧になっていってるのだけど、
このようなイメージというか、観念的なことというか、こういうことは、年月が経っても、
薄れることはないんですね。むしろ細かな部分が薄れている分、反対に余計に膨らんでいるというか。

昔のお友達の言葉が、なんとなくほっこりあったかな気持ちにさせてくれました。
みんなありがとう、そして小学1年のときの晴ちゃん、ありがとう^^



※しばらくブログ書けないでいました。
このまま消滅するのかなとも思ったりしてましたが、
晴香の命日を機に、再び戻ってくることができました。
もうちょっと続けたほうがいいよ、ってことかな、晴ちゃん!

ブログが書けない! [思うこと]

今日から7月。
これで今年の半分が終わったことになります。
早いなぁというのがまず最初に思うこと。
そして、この半年の間に、世界はほんとうに変わってしまったのだということ
改めて切実に感じさせられます。
今年のお正月には、このような事態になっているなんて
つゆほどにも思っていなかったのだから。

3月からしばらくの間に、いくつか呟き記事を書いたのですが、
6月に入って、なぜだかちっとも書けなくなってしまいました。
思うことはいろいろあったのに・・・どうして?

1か月以上、記事書いてないのに、なぜか多くの方がいらしてくださっているようで驚きます。
更新してないのに、毎日100件から200件のアクセスがあります。
トータルアクセス数も、昨年2月に10万件を超えたのですが、あれから1年ちょっとで、18万件ほどになろうとしてます。
「我が子を亡くす」というような言葉で検索して来てくださる方も多いようなのですが、
同じようにお子さんを亡くされた方が、訪問してくださっているのでしょうか。
タイトルの「ひとりごと・・」にあるように、誰かと繋がろうとかいうよりは、
どこへもぶつけることのできない自分の思いを吐き出す場として始めたHPであり、
その延長のブログであったのですが、今はもうひとりごと、では済まなくなっているのかもしれません。
同じようにお子さんを亡くされた方が、このブログを読んでどのように感じられたのか、
気になってもいるのですが・・コメントやメッセージを頂けた方からはお聞きできるのですが
大半の方はそうでないので、よくわかなくて、ちょっと気がかりでもあります。
なにか気に障るような内容を書いていましたら、お許しください。

亡き娘晴香を偲ぶ目的で始めたこのブログなのですが、
いつの間にかそれとは直接関係のないニュースなどについても書くようになっています。
改めてこれまでに書いてきたことを振り返り、そして今の自分の現実の姿をみたときに、
これまで書いてきたことや自分が求めてきたこととの矛盾を発見・・
なんてダメな自分なんだ。。と、愕然となることもあり、
何も書く気がおきなくなってしまうことも。今回しばらく記事があいたのも
ただ忙しいというだけでなくて、どうやらそういう原因もあるようなのです。

そういえば、ネットを始めて間もない頃
ある方からもらった次のようなコメント(このブログ内ではないですが・・)に対して、
考え込んでしまったことがあります。
「・・未来を明るく照らす何かが見えた気がしました。
悲しみだけのページではない、あたたかい強さを感じ・・」
このコメントに最初は喜んだんです。
でもそのうちに、未来を明るく照らす・・という言葉が気になりだして。
自分は娘を亡くしてめちゃくちゃ悲しくて辛くて、そんな思いを抱きながらHPを作ったのだけど
人から見たら明るい未来を感じるのは、どうしてなのかと。
自分は、HPを書いたりなにかのコメントを書いたりするときにも、
自分を鼓舞するような文章を書いていたのかもしれない。
なにもしなかったら、どんどんと沈み込んでしまう自分を、書くことによって
なんとか引きあげようとしていたのかもしれません。
このときにも、弱い部分を隠し鼓舞しようとする自分が、
(言葉は悪いかもしれないけど)なにか自分で自分を騙しているような気分になって、
ちょっとした自己嫌悪に陥ったのでした。

それからもうひとつ、原因があるとしたら、
それはなにか得体のしれない虚無感のようなものに襲われてしまったこと。
たぶん震災が影響しているのだろうけど・・
これは特に別ブログ(greengreen)で顕著に・・もう2ヶ月半も更新してない。
日々の生活は、以前とさほどかわりなくフツーにすごしているのだけど、
いったん文字にしようとすると躊躇われてしまい、写真は撮ってはみるものの
ブログに載せる気になれない。何故だか虚しく思われてしまって・・・

自己嫌悪と虚無感の中に、このままとどまりつづけたら、
もう戻ってこられなくなってしまいそう。
新しい月を迎えたことを契機に、またぼちぼち書いていくことにしましょう。
どんなことがおきようとも、生きている限り生きていかなきゃならないんですから。
それならば楽しくいきましょ!という自分のモットーを思いだして。

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今年の桜そして思うこと [思うこと]

今年は3月になってからもいつまでも寒くて、なかなか桜の蕾が膨らまず、
4月に入ってようやく咲き始めたとおもっていたら急に暖かくなり、
一気に満開になりました。

2011sakura.jpg

昨年の桜は今年とは対照的に、咲き始めてから気温の低い日が続いたためか、
じっくりと時間をかけて満開になり、そして長い間綺麗に咲き続けていました。

今年はというと・・
先週末あたり満開になったかなとおもったばかりなのに、
今週に入ってからつぎつぎ散り始め、もうすでに終りに近づいています。
月曜日、通りかかった地元の小学校でも、
強い風をうけて、花びらが吹雪のように舞っていて、
地面に落ちた花びらが、桜色の絨毯のように敷き詰められていました。

047.JPG

ほんとうに、あっけないくらいに早く散ってしまいそう。。

今年は桜の花もじっくりと鑑賞することなく、そして、
花見だけでなく、地元のお祭りも自粛のため中止になり、
なんとなく淋しい春になってしまいました。
夏に行われる恒例の長良川花火大会も中止になるのだとか。
世の中自粛ムードの中、お祭りや行事は控えようということなのでしょうけど、、
なんだかなぁ。。

むしろ被災地の方では、なんとしてでも入学式を行おうとか
桜まつりを行おうとか、努力されたりしている。
遠く離れたこちらで、いろいろな行事を自粛することに意味があるのだろうか。
ほんとうにやるべきではないことだと、考えた上での判断ならば
それも意味があるのかもしれないけれど・・
このごろになって、自粛も考えもの、という意見も聞かれるようになってきたことだし、
本当に中止にしなければいけないのか、考えなおして、再度の変更ってこともありにしてほしい。


それと、忘れてはならないこと。
被災地でないところにいる我々にも、いつ何があるかわからないということ、
来年の桜や花火も、もしかしたら見ることができないかもしれないということ、
こんなに元気にしているのに、そんなことありえないっておもうかもしれないけど・・
だけど、人の命に限りがある以上、百パーセント見られるという保証はないはず。
今生きている人の中にも、来年の春、夏には、病気や事故やあるいは災害で亡くなる人が
でてくるのかもしれない。それは自分かもしれない。
今回の災害も東北地方中心だったけど、それはたまたまそうであっただけで
もしかしたら東海や関東、関西である可能性もあったのだとおもえば、
自分たちのいのちだって、いつも死と隣り合わせだということ、
あたりまえのことだけど、普段はほんとに都合よく忘れてしまっている。
今度のことで、いやというほど思い知らされたわけだけど、
時間がたっても、このことを忘れないように心にとめておかないといけないんだとおもう。


これを書いている今日、午後からどんどんと気温が上がってきて、まるで初夏のよう。
マンションまわりのケヤキの枝枝から、若葉が芽を出し、ぐんぐんと成長を始めています。
桜の季節をじっくり味わう間もなく、すでに新緑の季節がそこまでやってきているようです。
待ちかねていた春だったのに、ほんとうにあっという間に、駆け足で過ぎ去ってしまいそうな今年の春。
つぎの新緑の季節こそは、もう少ししみじみと味わえるとよいのだけれど・・

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