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臼田輝くんのことば [本(その他)]

今朝の中日春秋は、ひらがなばかりで綴られたこんな文章で始まっていました。

<てのなかにうつくしいていねんをにぎりしめて いきていこうとおもう。
 うつくしいていねんは しんじつそのものです。 くるしみのなかで ひかりかがやいています>

美しい諦念を握りしめて生きる・・・この言葉を書いたのは15歳の少年、臼田輝くん。
彼は1歳になる直前、都内のマンション5階から転落し、動くことも話すこともできなくなった。
数年後、輝くんの母は、彼の目が輝く瞬間があることに気がついた。
指先のわずかな動きをひろい、文字を表現できる装置に出合い、光が言葉となった。

記事にはつづけて、彼のこんな言葉も紹介されています。

<へいわがくればいい うちゅうがえいえんにじかんのあるかぎり
いつのひか ちいさないのちがうまれて そだっていくように>

<てのなかにあるしんじつは さいわいそのものです。
 のぞめばいつでもてにはいりますが だれもこのことはしりません。
 なぜならにんげんは つねにらくなみちのほうをこのむからです。
 いきるということは くなんとなかよくしてゆくことなのです>

臼田輝くんのこと、少し前に朝日新聞の記事の中でも紹介されていたようです。
http://www.aiiku-gakuen.ac.jp/img174.pdf

<せっかくのことばが ことばとして こうのうがきのように 
 うけとめられてしまいざんねんです(中略)
 すばらしいのはつらくても ことばがあることです 
 ことばこそ ばくたちにとってひっようなものなのです>

言葉こそぼくたちにとって、必要なものなのです・・・
池田さんを想い起こさせる言葉です。

15歳にして、なぜこれほどまで研ぎ澄まされた言葉を表現できるのか、
自らが明かします。

<けっしてなにもするわけでもなく ただじっと ことばだけをつかっていきてきた
 しかも いちどもそのことばを だれにもはなさずに いきてきたので 
 のんふいくしょんのどらまのようなせかいを すごしてきた どらまよりも 
 すさまじいたいけんをしてきた だから ことばがとぎすまされてくるのは
 あたりまえのことなのです>

<きぼうがすっかり きのうのおもいでになってしまったら 
 すなおなきばうの しにたえたきみょうなせかいがおとずれるだろう 
 ついにきぼうのすみきったせかいが おとずれたとき しあわせは
 どういうかたちになるのだろう しあわせはちいさなよろこびとなって   
 しあわせとよぷひっようもなくなるだろう>

輝くんのお母さんが、大学で教育学を学ぶ学生さんたちの前で語られた言葉がまた印象的。

「息子が幸せだったのは文章を残せたことより、重い障害があっても、
 1人の人間として向き合って下さった方々がいたこと。
 子どもの前に立つ皆さん、その子の目の輝く瞬間を、どうか見逃さないでください」


16歳で旅立った輝くん、
研ぎ澄まされたことばの数々は、「輝 いのちの言葉」のタイトルで、
本になったそうです。

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