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ゴンちゃん [その他]

豪雨のあとは猛暑。
岐阜は全国でも暑いところとしてすっかり有名になってしまいましたが、
今年の夏は例年以上に厳しい暑さに見舞われています。
ここ数年、35度を超す猛暑日は、特に珍しいこともなかったのですが
この夏は、梅雨明け以降ずっと連日ですから、さすがに参ります。
昨日一昨日と降った、まとまった雨のおかげで、
気温は下がり、久しぶりに30度をきりました。
雨がやみ、再び太陽が顔を出してきたと思ったら、
ぐんぐんと気温が上がってきたので、今日も最高気温35度を超えるのかもしれません。
ちょっと涼しかったのは、ほんの束の間だけのよう。
これから来週にかけて、再び気温は36度、37度とあがってきそうです(´_`。)

この暑さの中、人間だけでなく、動物たちもバテてる様子。
先日実家に行った時、お隣のゴンちゃん(20歳を超す老犬)も、
起き上がる気力もなく、地べたにべったりと這いつくばってピクリとも動きませんでした。
ただでさえ、老衰で(人間でいえばもうすでに100歳を超えているとのこと)
あちこち具合がすぐれないのに、この暑さの中、さぞかしシンドイことでしょう。

gonchan.jpg
写真は2年前のお正月に撮ったもの。
あのころはまだ、一緒に散歩に行こうとする気力があったのですが・・
その後、目もほとんどみえなくなり、胃腸の働きも弱まり、今では歩くこともままらない様子。
1年くらい前には、ご主人にひきづられるようにして、ヨタヨタと歩いている姿を見かけました。
今ではもう散歩をすることも難しくなってるのかもしれません。

ゴンちゃんが、お隣にやってきたのは、晴香がまだほんの小さなころ。
沙織が生まれる前のことでした。
だから、子どもたちが物心ついた時には、すでにゴンちゃんがいたわけで、
実家に遊びに行き車から降りるたび、いつも真っ先に迎えてくれたものでした。
若いころのゴンちゃんは、それはそれは元気で、とりわけ小さな子どもたちが大好きで・・
娘たちがそばにくると、ちぎれんばかりに尻尾を振ってじゃれてきて・・
そんなゴンちゃんに、幼い娘たちは興味津々、ちょっとこわごわだけど、頭をなでたり
声をかけたり。
実家の姪たちは、ゴンちゃんにすっかり慣れて、ゴンちゃん~って呼びかけたり、さわりまくったり
まるで自分たちが飼い主であるかのようでした。
子どもたちとともに成長してきたゴンちゃん、
犬の寿命が13年とか14年とか言われている中で、20年以上もの歳月を生きてきたのは
むしろ奇跡的なのかもしれません。
お隣のご主人の愛情と適切な対応や処置があればこそなのでしょう。

それにしても、人間も熱中症で倒れたりするほどの、この酷暑。
すでに弱り切っているゴンちゃんには、辛いことでしょう。
果たして、この夏を無事に乗り切ることできるのでしょうか。

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”戦うこと”~中島義道「人生を<半分>降りるより」~ [中島義道]

前回書いた中島義道さんの「人生を<半分>降りる」の中に興味をひかれるところがありました。
その中の一つ。「戦い」について語られたところ。
私は10年くらい前からテニスを始め、以来その面白さに取りつかれています。
30度を超す夏の暑い日にも、木枯らしが舞う冬の日にも、お正月と8月以外、年がら年中。。
それから、テニスに限らず、子どもたちのバスケットや野球を観るのも好き。
オリンピックやWBCのような国際大会も。サッカーは普段みないけど、WCだけは別。
白熱した試合をするのはもちろん、観るのもとても面白い。
へたなドラマや映画よりも、感動させられる。
スポーツ、あるいは競い合いというのは、私に限らず人を熱中させる魔力がありますね。
普段スポーツにあまり関心のない人でも、今回のワールドカップサッカーに夢中になった人は
かなり多かったようですから、普段見る見ないに関係なく、
このことは多くの人にあてはまるのではないのかと思います。

では、どうしてスポーツや競り合いというのが、これほど人を惹きつけるのか。
中島さんの文章に、これに関わることが書かれていました。

*********************************************
第3章「懐疑精神」のすすめ 「戦い」はわれわれの「自然」である より  L135~

・・・つまり、人間はー文化を完全に廃棄しニシンのように生きることを決しないかぎりー他人を攻撃する衝動、他人に勝りたい衝動を消し去ることはできない。ホッブスは、この衝動をまるごと人間の本性=自然と認めました。

たしかに、世界中で催されているスポーツの祭典を見ますと、ローレンツやホッブスの言うことが正しいような気がしてくる。人間が「戦うこと」を好む生物であることは否定できない。たとえ身をもって戦わなくとも他人どうしの競争を観戦することが大好きな生物であることも否定できません。
 そして、こうした戦いにおいて最も感動的な場面がくりひろげられるのも事実です。例えばテニスですが、私は自分ではまったくしない(できない)のに、そしてルールでさえ完全にはわかっていないのに、よく試合を見ることがあります。・・・・・・・・・・(略)USオープン準々決勝サンプラスVSスペイン人某との試合について・・・・・・・・ 皮肉な目で「テニスが」できるだけじゃないかとうそぶいていた私でさえ、こういう場面になると感動の嵐に襲われる。もう宇宙の100億年の歴史などどうでもよくなってくる。ただ、こにのみ全神経は集中し、サンプラスはほんとうに偉大なのだと信じてしまう。スポーツのみならず、本物の戦争・将棋・音楽コンクールなどあらゆる戦いはこうした魔力をもっております。なぜなのか、それはわれわれの最も深い「自然」だから、というほかありません。
***********************************

中島さんが、テニス観戦されること、サンプラスのプレーに感動されたこと、
ちょっと意外でしたが、でもなんとなく嬉しい気も。。
虚無的なことをよく書かれている中島さんでも、テニスUSオープンみて感動してるんだって(笑)
それにしても、宇宙の100億年の歴史などどうでもよくなる・・っていうのは
かなり強烈に感動していらっしゃるのだなぁ。
でも、そういう私も、熱中してるときには、なにも手につかずにのめり込んじゃってるから
その気持ちはわからないでもないけど。
スポーツなどの競い合いに夢中になるというのも、人の「自然」の性なのですね。
なぜこれほど惹かれるのか、不思議に感じていたのですが
少しわかったような気がしました。
ただ、”戦争”がこの中に入っているのが、なんだか悲しい。
戦争に魔力がある、人が惹きつけられる、そんな風には思いたくないのだけど
でも、人類創世のはるか昔から、これまでの長い間のことを振り返っても
紛争の絶えることがなかったことを考えてみると、
”戦争”でさえも、人の「自然」の性なのだといわざるをえないのかもしれません。


さらに、「戦うこと」について、別の視点から述べられています。

****************************************
気を紛らすこと より  L138~
パスカルは「戦うこと」のもつこの魔力を、少し違った観点から「気を紛らわすこと」と呼び子細に分析しました。彼によれば、われわれが戦いを好むことは、「死ぬこと」をはじめ次々に襲う人生の不幸を「紛らすため」に不可欠のものとして人間が考案したものなのです。だから、その「楽しみ」の裏にはピッタリと「虚しさ」ないし「惨めさ」が貼りついている。
***************************************

気を紛らわすこと・・・・
自分の場合も、たしかにこれはあてはまる。
晴香を亡くした後、しばらくはどこへも出かける気がしなくて、家に籠って
本ばかり読んでいました。しばらくしてから、あまり籠っているとどんどんと
気持ちが塞がっていくように感じてきて、今度はあえて積極的に外にでていくようにしていました。
ただちょっと無理をしてたのか、しばらくの間は、帰ってくると反動でどーっと疲れる・・
という状態が続きましたが。
その後、数か月後には1年以上中断していたテニスを再開。
テニスコートの中でボールを追いかけている間は、夢中になれました。
すべてを100%忘れて・・というわけにはいきませんでしたが、
とりあえずその場で考えることはテニスのことでしたから。
そういう意味では、気が紛れていたと言えると思います。
「思考」というのは、常にやってくるものですから
マイナスの気分の時にはどんどんとマイナスの方向に思考が行ってしまいがちです。
そんなときに、一時的にでも違うことに「思考」が向けられるというのは
自分で自分を苦しいことから逃れさせているともいえるのでしょう。
テニスに夢中になってきたのは、純粋にそのものを楽しむということも
もちろんあったのですが、こうやって振り返ってみると
自分自身の現実からの逃避であったのかもしれない、
そんな風にも思えてきます。

「人生の不幸」や「死ぬこと」などといった大きなことだけでなく、
日常の些細なことがらなどでも、一時離れて、別世界にひたることができる、
スポーツの面白さは、そういうところにもあるのでしょう。
テレビをつければ、民主党が・・自民党が・・角界の野球賭博問題が・・・
いやになって、チャンネルはすぐに、ウインブルドンへ。ワールドカップへと。。
これも、現実逃避の1つなのでしょうね。
でも、ウインブルドンもワールドカップも、もう終わってしまったので
逃避するところがありません。
それで、テレビの出番はすっかり少なくなってしまいました。
本当は、政治の問題などでも、もっと真剣に考えなくてはいけなのでしょうけど。
偏向報道、煽り報道・・有権者を振り回すような報道が多すぎて
今のテレビ放送は正直、あまり見る気がおきません。もうちょっと現実にも
目を向けたくなるような報道を考えてもらえるといいのですが・・

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中島義道 [中島義道]

久しぶりの記事投稿。
ここしばらく、ウインブルドンやらサッカーやらの観戦に忙しく、
テニスが一段落したところで、今度は溜めこんでいた本を読むのに忙しく
なかなか書くことができませんでした。

溜めこんでいた本というのは、以前ブックオフでセールをやってたときに
まとめ買いしたものが数冊。
それと、図書館で借りた本が3冊。

その中の多くが、中島義道さんの本。
ブックオフで物色中に、ふと手にしたのがこの人の「私の嫌いな10の人びと」
中島氏のいう嫌いなひととは
「常に感謝の気持ちを忘れない人」
「いつも前向きに生きている人」・・・とこんな具合。
これってどれも、世間一般ではよい人、好感を持てる人の代表のような人たち。
それなのに、どうして嫌いというのだろうか。
中島氏は、かなり変わった人なのかなというのが、最初の印象。
で、その時には本を買うこともなく過ぎたのですが、
その後図書館で、中島氏の「狂人三歩手前」「私の嫌いな10の言葉」「人生を<半分>降りる」
を見つけて、パラパラと読んでいたところ、なんだかおもしろそうということで
この3冊を借りてきたというわけなのです。

最初は、随分と偏屈で変わりものというイメージだったのだけど、
読み進むうちに、そのイメージも幾分変わってきたように思います。
むしろ言葉の端々から、この人独特の優しさ繊細さが感じられるところもあったり、
ご自分で書かれているほど悪い人、とっつきにくい人ではないのでは・・と思うようにも
なってきました。
ただ、世の中のマジョリティーに対してマイノリティーである限りにおいては、
変わりものであることには違いないのかもしれませんが。。
そういう点では、私もどちらかというと、変わりものの部類に入るのかも。
みなと同じでなければ、みなと同じ行動をとり、流行となれば行列をなしてみなが同じものを求め・・
(学校給食は拷問に等しかったという記述には、ひどく共感したし。。)
そういうことに対して、とても違和感を覚える自分も、中島氏がいうマイノリティーの要素があるのかも。
だいたい、こういう種類の本を読もうとしたり、なるほどと考えさせられたり、すべてではなくとも共感を覚えたりするのは、世の主流からみれば、すでにちょっと変なんでしょうね、きっと(´_`。)
それでも、中島氏にくらべてみれば、自分もまだマジョリティーの方に入るのかもしれません。
これまであたりまえと思っていた常識も、マイノリティーからみたら、あたりまえではない、苦痛にしか思えないことがあるということ。
数の論理で少数の人の気持ちを理解しない、時には封じ込めたり
押し付けたりしてしまうことが現実には多々あること。
世の常識がすべての人の常識ではないのだということ。
物事の奥深くまで考えぬいたこの人の言葉に、なるほどと考えさせられた部分もありました。

中島氏は、東京大学大学院卒業後、ウイーン留学。電通大人間コミュニケーション学科教授を務めたのち、2009年退職。2008年より「哲学塾 カント」を主宰。
専攻は「時間論」「自我論」「コミュニケーション論」で、カント専門。

私には哲学の素養がないので、「カント」に関する記述部分がでてくると、なにがなんだか
よくわからなかったりするのですが、
「時間」や「善」に関わる記述など、興味をひかれるところもありました。
その中で「善」について少しだけ。
普通善行を行う人は、一般にはよい人であるわけなのですが
中島氏は、善行を行う人の心の中に潜む自負心に対して目を向け、
そして、同時に感謝の言葉を期待してしまう人の心にも触れ、
それはすでに「善」ではないのだという。
それでも、よきことを行わない人はそれはそれで「善」ともいえず
したがって、人はどうしたって「善」ではありえないのだという。
このあたりのことには、「歎異抄」を連想させられます。

中島氏はこのような考えをもっているからこそ、
著書の中で、自分のことを悪ぶって書いてみえるのかもしれないですね。
よい人に思われるなんて、とんでもない!っていうところでしょうか。
彼流の美学なんでしょうね。
その後、ブックオフで購入した本の中に
「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」
「やっぱり、人はわかりあえない」
「私の嫌いな10の人びと」
次に読む予定なのだけど、タイトルみるとなんだかひどく暗く虚無的な感じ。
人によっては、中島氏の本は、「死にたくなる」「毒がある」・・
そうですから、向き不向きがあるのかもしれません。
他の本も読んでバランスをとりながら・・・というのがいいのかも。
まぁ、私の場合、生に執着があるかないかは別として、今さら死んでしまいたい
なんて思っているわけではないので、このような本を読んでもきっと大丈夫かなと思いますが。。

そうそう、話は変わりますが、
中島義道さんの本と並行して読んでいるのが
山岸凉子さんの「日出処の天子」
これもブックオフで全巻まとめ買い。
以前池田理代子さんの「聖徳太子」を読み、その後気になっていたシリーズ。
こちらもとてもおもしろくて、読みだしたらとまりません。
3巻の巻末に、山岸さんと梅原猛さんの対談が載っていました。
山岸さんは梅原さんの「隠された十字架」を読んでから、このシリーズが閃いたのだそうです。
この「隠された十字架」は、「水底の歌~柿本人麻呂論」とともに高校時代夢中になって読んだ本。
歴史ミステリーといった感じで歴史好きの自分にはたまらなく魅力的でした。
「日出処・・」も、この梅原さんの作品に影響されたということを知って、なるほど納得でした。
池田さんの作品は、日本書紀に比較的忠実。
山岸さんの作品は、さらにイマジネーションが加わって、読み物としてさらに複雑に面白くなってます。
久しぶりの少女漫画ですが、漫画といっても侮れない、なかなかの大作ですね。

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