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震災1年に思うこと [思うこと]

震災からきのうで1年。
被災地はもちろんのこと、国内外のあちこちでも追悼行事やコンサートなどが行われたようです。
テレビ新聞などのメディアでもさかんに取り上げられていました。

1年が過ぎておもうことは、民間レベルでのみなさんの取り組み方はほんとうにすごいということ。
被災された方々にも、その人たちの力になろうとボランティア活動などされている方々にも、
いずれの側にもいえることだけど・・・

何百キロも離れた岐阜の地にいると、
何事もなく世界が動いているようにおもわれ、あの大変な震災でさえも、
なにか現実味が感じられなくなってしまうようでもあるのです。。
そんなぬくぬくとした生活に浸っている自分が、どこか後ろめたくも感じられ、
なにかしなくていいのか・・・という思いがずっとどこかにあったような気がします。
とはいえ、実際に東北に駆けつけボランティア活動をする時間や行動力も持ち合わせず、
できることといえば、少しばかりの募金をし、そして祈ることくらい。
ただ、こんな風に感じているのは、おそらく私だけじゃなくて、
多くの人が同じようなおもいを抱いているのかもしれません。

民間レベルでの多くの人たちの行動力や想い、
それに比べて、官レベルでの不甲斐なさが際立った1年でもあったようにも感じられてしまいます。
東電トップ、保安院、政府や官僚・・
上にたつ立場にある人たちは、どうしてあのようになってしまうのか。
今回の震災はたしかに歴史的に見ても大規模なものであったし、
地震や津波の被害も、相当なものであったのですが、
どうしても考えてしまうことは、原発の問題がなかったならば・・・ということ。
事故前、事故直後の対応ももちろん問題だけど、
信じられないことに、あれほどの事態を引き起こしながら、
今また、安全が確実に確立されていないにもかかわらず原発を再稼働させようとか、原発を輸出するとか、さらに腰を抜かしそうになったことには、あの「もんじゅ」を実験的に再稼働させようという動きもあるのだとかいう。
もうこれは、どう考えてもわからない。原発にかかわる方々(もちろん現場で働く人たちのことではなく、電力トップや官僚、政治家など・・?!)の頭の中がどうなってるのか、想像するのも難しい。。。

これは、なにを大切にしていくのかという違いからくることなのだろうか。
原発がいかに負の遺産を後世に残していくのか、今回のことで思い知らされたはずなのに
(このことは本当は事故がおきる前からわかっていたことなのだが・・)


最後に、少し前に読んだ池田さんの『考える日々Ⅲ』の中に、
今回の震災、原発問題にかかわって、自分のなかでどうしても結びついてしまう一節があったので、
こちらに抜粋しておきます。


私の値段はおそらく〇円 p174~ L8~
『・・・・値段、すなわちこの世の価値とは損得だが、形而上の価値は善悪だからである。多くの人は、損得と善悪を間違えている。損なことが悪いことで、得なことが善いことなのだと思っている。しかし、これは、間違いである。
 得をするために人間が悪くなることが、どうして善いことなのだろうか。損をしても自分が善くなるのなら、どうしてそれが悪いことなのだろうか。
 内面の価値、すなわち魂の値段は、おそらく市場の価値とは反比例する。ごく稀に比例する場合もあるに違いないが、それはその人が、反比例の法則を自覚して、自覚的に生きているからである。ほとんどの場合、市場の価値が自分の価値だと思うことによって、その人の魂の値段は安い。』


若い頃は、ボランティア活動をされている人たちのことは、どうして見返りを求めることなく働くことに自ら進んで行こうとされるのか、理解ができなかったものでした。
私たちがまだ学生の頃は、ボランティアという言葉さえ今ほどには聞かれなかったくらいですから。
だけど、この頃では、このような無償の活動をなぜ進んでするのか、少しはわかるようになってきました。
少なくとも、彼らは損得からでなく、市場の価値からでなく、池田さんのいわれる形而上の価値というものを、本能的に理解しているからなのでしょう。おそらくそんな理屈など考えてから行動しているわけではないのでしょうけれど。
一方で、自分自身の価値を市場の価値から判断されがちな社会的成功者の場合は、どうしても損得から物事を考えてしまいがちなのかもしれません。
自分の市場価値があがればあがるほど、ますますそれが自分の価値だとおもえてくる。
上に立つものが、民のことよりもまずは自身や所属団体の損得や保身を考えてしまうというのも、なるほどという感じです。
今回の、原発事故に関わったトップの方々の言動をみても同じく。


”内面の価値、すなわち魂の値段は、おそらく市場の価値とは反比例する。ごく稀に比例する場合もあるに違いないが、それはその人が、反比例の法則を自覚して、自覚的に生きているからである。”

その人の社会的価値が高くなればなるほど、このような反比例の法則を自覚することは、難しくなるのかもしれない。社会的成功者でかつ謙虚で世のために貢献していらっしゃる方々は、おそらくこの法則をよく理解されていらっしゃるのでしょう。
できることなら、政治家や官僚、東電のトップに立つ方々にも厳しい自覚をもって、国民のために行動していただきたいものです。

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コメント 2

あきおパパ

はるママさん、こんばんは~♪
震災から1年がすぎましたね。

ボランティアで知り合った仲間は、
今も毎週のように、誰かが被災地にでかけています。

今は、ガレキの撤去や、地元漁業の支援や、
仮設住宅での傾聴活動が主な作業で、
皆さん、被災地の人たちを支えようと頑張っています。
本当にありがたいことだと思います。


私はボランティアの基本は共感だと思っています。
被災地の人の苦しみに共感するからこそ、
被災地の人を助けずにはいられません。
そして被災地の人の小さな喜びは、自分の喜びとなる。
人間ならではの、とても尊い心の働きだと思います。

困っている人は、被災地に限らず身の回りにもいます。
はるママさんがいつもされているように、
身近なところから始めればよいのですよね~!

ではまた~♪

ps 
考える日々Ⅲの「私の値段はおそらく0円」の章は、
私の本もマーカーだらけです。

「他人の評価がその人の人生を最終的に評価するなら、結局その人は自分の人生を生きることはなかったわけである」(p.175 L8)

自分の人生の評価は、自分が死ぬ時に自覚するのでしょう。
「よい人生だった」と思いながら、その時を迎えたいです。
また、そう思えるように、いつも自分の死を意識しています。

by あきおパパ (2012-03-25 21:50) 

はるママ

あきおパパさん、
被災地へのボランティアには、一度ならず何度も出かけている方も
たくさんいらっしゃるようですね。
ネットのおかげで、ボランティア同士の連携が取りやすくなっていて、ボランティアを継続していく力になっているのかもしれませんね。
みなさんのバイタリティには、感心させられます。

なかなか自分はそこまで思いきれなくて、一時は後ろめたいような思いにも駆られましたが、今は身近なできるところでできる範囲でやっていけばいいのかなと思っています。
だけど、わがままな自分は、やろうとおもったことだけしかできていませんが・・(^^;)

ps
このところ立て続けにいろいろなことがあり、
返信が遅くなってしまいました。どうもすみません。

by はるママ (2012-03-28 21:45) 

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